Q1. 今回は「責任」についてのお話しですが、社会的責任投資が何を意味するかということに関係するのでしょうか?
今回は、少し異なった観点からの話しです。「責任投資」という言葉からどのようなイメージを受けるか、という事についてです。「責任」という言葉は、日本語と英語とでは意味合いがかなり異なるようです。この違いを理解することで、「責任投資」がどのようなものか、正しいイメージを持つことができる気がします。日本語の「責任」というイメージで「責任投資」を考えると、正しく理解するのは困難とさえ思えます。 SRI(社会的責任投資)に長年関わってきましたが、気になっていることがあります。欧州や米国ではSRIが長年にわたり拡大していますが、日本では残念ながら、これまで広がりがほとんど出ていません。この点について、何が原因かとお尋ねいただくことがよくあります。歴史的な背景、また企業に対する人々の態度が欧州・米国と日本とではかなり異なっているのが原因のひとつと思われます。もうひとつの大きな原因が、日本語の「責任」という言葉にあるように思えます。
Q2. 「責任」という言葉に、英語と日本語とでは違いがあるというのはどういうことでしょうか?
みなさんは、「責任」という言葉でどのようなイメージを持たれるでしょうか。英語の「Responsibility」が「責任」という日本語に訳されていますが、それぞれの言葉のイメージにはかなりの違いがあるようです。 「責任」という言葉は、金融関係ではたいへん重要です。「受託者責任」「投資家の自己責任」といった言葉があります。資産運用会社や信託銀行がお客様から資金や財産をお預かりしますと、専門家として預かった「受託者責任」が生じます。この「受託者責任」には2つあります。預けた人の利益だけを考えて、自己の利益の獲得を図ってはならないという「忠実義務」がひとつです。もうひとつは、専門家としての知識を最大限に利用する努力と注意を払って業務に当たるという意味の「善管注意義務」です。金融の専門家が財産をお預かりする際に生じる、もっとも基本的な義務・責任です。 英語と日本語とに違いがありそうだと気づいたのは、「投資家の自己責任」という言葉が頻繁に使われるようになった2000年頃です。「証券取引における自己責任原則と投資者保護」という本を読んだのですが、日本の制度を説明する部分に出てくる「自己責任」とうい言葉が、欧米の制度を説明する部分では出てこないのです。不思議に思いました。こういうときは、大きな辞典で言葉の意味を調べるに限ります。 『広辞苑』で「責任」を調べると次の意味が書いてあります。
- 人が引き受けてなすべき任務
- 政治・道徳・法律などの観点から非難されるべき責(せめ)・科(とが)
これが日本語の「責任」の意味です。 英語の「responsibility」については『American heritage Dictionary』を調べました。 次が「responsible」(形容詞)の定義です。この名詞形が「responsibility」です。
- 自己の行動あるいは責務や信託(委託)の履行にかかわる説明を行う責務のある
- 上位のものからの指導や認可なしに行動する個人に伴う説明責任(Accountability) や能力にかかわる
- 倫理的あるいは合理的な決定を自分で行うことができ、自己の行動を説明できる(answerable)能力がある
- 信任(信託)される、頼られる、信頼される能力がある
- 優れた判断あるいは健全な(信頼できる)考えや特徴に基づいた
Q3.日本語と英語とではずいぶんとイメージが異なるのですね
そうですね。この日本語と英(米)語の違いを、みなさんはどのように感じられるでしょうか。日本語の「責任」という言葉は、人から引き受けさせられる受け身のイメージがあり、さらには非難され責められるという、かなりネガティブな言葉です。 一方で、英語の「responsible」という言葉は、自ら積極的に関わることができる、自己の行動を説明できるという能力を示しており、また信頼されて任される、優れた判断、健全な考えというポジティブな能力があることを意味しています。
また、「responsibility」には、みずから積極的に関わるという意味が含まれていますので、わざわざ「自己」という言葉を重ねる必要がありません。一方で日本語では他人からとらされるが責任ですから、みずから責任をとるべきだと言いたい場合には「自己」という言葉を付けなければいけないわけです。日本語と英語とで、これほどニュアンスが異なるのには驚きました。
SRI(社会的責任投資)が日本で知られるようになったのも2000年頃ですが、「責任」という言葉が使われていることがSRIを日本で浸透しにくくさせている原因のひとつとなっているように思えてなりません。「責任」という言葉に接すると「責任をとれ」と押しつけられているように感じてしまい、無意識に拒否反応がでてしまうのではないかと思われるからです。 しかし責任投資というのは、投資をするに当たって、個人であれば、その投資資金が使われることが、また運用のプロフェッショナルであれば、委託された資金の使い方を自己の能力を全て動員して、注意深く考慮し、そして専門家として信任されたことにふさわしい行動と責任を、自ら進んでとるという態度なのではないでしょうか。そうした思慮の結果のひとつとして、投資資金の使い方が社会や企業にとって有益であることが望ましいという考えが、無理なく理解できるように思います。
荒井勝